ユカンボシC15遺跡―2
美々8遺跡、オサツ2遺跡などの低湿性遺跡
千歳川の改修工事が一段落する30年前までは、標高8mあたりまで沼沢地であった。
この沼沢地は千歳川、長都川、ユカンボシ川の水を集める停滞水域であり「長都沼(オサットー)」と呼ばれていた。
調査範囲は大半は低湿部であり、湧き水や滲水が予想された。
除水、排水にはウエル・ポイント法で対処したため、安全確保や、遺物の検出にあたっても台地上の発掘に近い状況で進行した。
「土層柱状模式図」は千歳市内に所在する美々8遺跡、オサツ2遺跡などの低湿性遺跡である。
第T黒色土層の遺構・遺物
遺構、遺物の大部分は、擦文文化期のものが竪穴住居跡2軒、土坑墓10基、周溝のある墓3基。
アイヌ文化期のものは、建物跡、送り場、灰集中、道跡などである。
土抗墓の平面形は楕円形と隅丸長方形のものがある。副葬品は鉄斧、鎌、小刀、須恵器杯、土師器杯、擦文土器などである。副葬品から判断すると8世紀中葉から9世紀初頭のものと考えられる。
土器、石器は縄文時代晩期、続縄文時代、擦文文化期のものがある。木製遺物はかなりの種類が出土している。
第U黒色土層の遺構・遺物
縄文時代中期、後期の住居跡、土坑焼土がある。
土器、石器は、縄文時代中期、後期、晩期のものが台地部のみならず低湿地部からも検出されている。これらは流路や水面高度の変化を示す資料である。