オサツ2遺跡
国有保安林の中には擦文時代の竪穴住居跡

  オサツ2遺跡

  国有保安林の中には擦文時代の竪穴住居跡

  千歳市の北方約5km、長都川河口から約1km上流の右岸に位置する。

  この川の両岸には現在までのところ19ヶ所の遺跡が確認されており、その内11ヶ所は擦文時代の遺跡が下流に集中する。

  遺跡の北側に隣接する国有保安林の中には擦文時代の竪穴住居跡と見られる窪みが約20ヶ所残っており、南側の林の中や西の畑の中にも多くの竪穴住居跡が分布している。

  遺物と遺構

  段丘上面からは旧石器時代の遺物(石斧未製品・細石刃)をはじめとして、縄文時代のTピット3基、土器集中2ヶ所、焼土5ヶ所。続縄文時代の土坑墓3基、土坑3基、擦文時代の竪穴住居跡5軒、鍛冶遺構1ヶ所、銑鉄片集中1ヶ所が検出された。

  底質部の遺構は道跡1条、炭化物集中3ヶ所、立杭で、いずれも擦文時代以降のものである。道跡は斜面を下って横切り、さらに低い方に伸びている。このことから船着き場などの遺構は、現河道よりのところにあると推定される。

  遺物は擦文時代からアイヌ文化期にかけてのもので、約9割が擦文時代以降の木製品であった。

内容は櫂、矢の中柄、矢柄、串、漆椀、曲げ物、樽、下駄、外に建材・土木材としての杭、焚き付け用のシラバ樹皮巻、薪の燃え端などである。