千歳市・キウス5遺跡
縄文時代前期から晩期の住居跡
キウス5遺跡(平成6年度調査)
縄文時代前期から晩期の住居跡
遺跡は千歳市の東端を占める馬追丘陵の西麓、丘陵から西流して旧馬追沼に注ぐ小河の一つキウス川の右岸に位置する。
平成5年度の調査で縄文時代後期末の周提墓群・盛土遺構が確認されたキウス4遺跡、国指定史跡キウス周提墓群、縄文時代中期の環濠が発掘された丸子山遺跡にもほど近い。
V層(樽前a降下軽石堆積物と同c降下火砕堆積物の間の埋没土壌・第一黒色土層)とX層(樽前c降下火砕堆積物下位の埋没土壌・第U黒色土層)が主な遺物包含層である。
谷底部分では、V層・X層とも細分され、V―1(擦文時代)・V―5(縄文時代晩期)・X―1(同晩期)・X―3(同後期後半)・X―5(同早期末〜中期)の各包含層が間層を挟んで累重する。
当初は谷床部分のX層は概ね無遺物であるものと予想していたが、結果的には沖積層の下底まで縄文時代の遺物が出土し、各包含層中に形成された流路内からは木製品が確認されるなどして低湿部分の調査に多くの時間を費やした。
遺構と遺物
確認された遺構は竪穴住居跡7軒、土坑19基、焼土57ヶ所、集石9ヶ所、炭化物集中132ヶ所などがある。
竪穴住居跡と土坑はすべてX層(第U黒色土層)の遺構である。
竪穴住居跡はいずれも標高32m余りの段丘面に位置している。
2軒は道央ではまだ類例の少ない縄文時代早期中葉のもので、十勝地方の暁式に近い土器が出土した。
柱穴の覆土などで樽前d降下火砕堆積物起源と見られるスコリア(を玄武岩質の黒っぽい色をした軽石。岩滓(がんさい)。 確認したが、住居跡との先後関係は明瞭はない。
また3軒は中〜後期のもので、残る2軒は縄文時代晩期と見られる。晩期の住居跡は中〜後期の住居跡に重複しており、古い竪穴の窪みを利用したものと考えられる。
遺物数は未了ながら概数3万点程度。土器は半数以上は縄文時代中葉のもので、タンネトウL式に先行する型式(ママチ遺跡2類土器など)が中心。次いで手稲式・堂林式など後期後半の形式が多く出土する。
他に縄文時代早期後半・前期前半・中期後半・後期初頭、さらに続縄文時代を経て擦文時代(須恵器)までの土器が確認されている。
石器類では黒曜石製の剥片石器類が中心となる。
低湿部分では少数ながら明確な木製品が出土し、特筆すべきものとして槌状の木器3点(縄文時代晩期中葉後半)がある。
木製品以外ではV―5・X―1層を中心に焼けた木の出土が多いほか、株・流木・種実・昆虫や淡水貝の遺体など自然遺物もよく遺存しており、遺跡形成当時の環境を窺うことが可能である。
平成6年度・調査年報7