キウス5遺跡A地区(縄文時代早期〜晩期、続縄文期、擦文期、アイヌ期)
A−1地区,A−2地区

キウス5遺跡A地区(平成8年度)

  (縄文時代早期〜晩期、続縄文期、擦文期、アイヌ期)

A−1地区,A−2地区の調査

  包蔵地範囲は、R337号線を起点に東側に長さ約1km、幅約200m。川に沿った低地と段丘、台地縁辺が含まれ、標高は約2039m。

 本遺跡は平成6年度から継続して調査を行っている。便宜的に東側からA,B,Cと3地区に分け、更にA地区はA−1,A−2の2地区に細分している。東端のA−1地区はキウス川を挟みキウス7遺跡と向き合う。平成6年度はA−2の内キウス川に面した1,270uを、平成7年度はA−1地区の4,100uについての調査。

  A−1地区

  調査地区は谷地形に形成された高低差のある二つの河岸段丘からなっており、今回は低位の段丘部分が範囲である。

  低位段丘は、数枚の黒色腐植泥と旧河道の氾濫堆積物の互層によって形成されている。このうちV層(第U黒色土層)相当の遺物包含層は凡そ3枚の黒色腐植泥に相当する。

  遺物の時期は上から縄文時代晩期、後期中〜末葉、前期前半・中期後半に分かれる。

  又、ほぼ縄文時代晩期(V層相当・第T黒色土層=樽前c降下軽石・Ta−c層で、約2,000年前)及び縄文時代後期中〜末葉(V層・第U黒色土層=恵庭a降下軽石層で、約15,000年前の噴火)時期の数本の河道跡を検出、埋没した堆積物中にもわずかに遺物が含まれていた。

  遺構と遺物

  遺物は総点数約4,000点が出土。前年度を含めると約14万点となる。

 縄文時代後期中葉〜末葉、晩期に対応する手稲式、堂林式が主体。石器は石鏃、つまみ付きナイフ、スクレイパー、石斧、敲石、磨石、砥石、石皿などが出土している。

 縄文時代後期末葉の遺物を含む河道跡からは、両端が尖頭状に加工された棒状の木製品が1点出土している。これは多量の焼け材、流木の間から出土したものである。



  A−2地区

  遺物包含層は台地上ではV層(アイヌ期〜縄文晩期、第T黒色土層)である。低湿地ではV層(第U黒色土層)が更に細分され、包含層はV−1層(縄文時代晩期)・V−3層(縄文時代後期)・V−5層(縄文時代中期)の3層である。

  遺構と遺物

 竪穴住居跡は柱穴のみ検出されたものや竪穴状遺構を含め、V層(第U黒色土層)から33軒検出されている。

 縄文時代早期のものが多く、晩期から東釧路V式・コッタロ式(縄文時代早期の貝殻条痕文系の土器)などの土器を伴うものである。

 又、縄文時代中期以降の住居跡も検出されている。

 土坑はV層から23基、V層から309基検出されている。縄文時代晩期の土坑が多い。

 遺構はキウス川に面した北東から南西方向の段丘縁辺部に多く立地している。最も古い暁式土器を伴う住居跡は調査区北東側に占地し、時期が新しくなると南側に移っている。

 竪穴住居跡は4ヶ所で2〜5軒が重複して検出されており、土坑との切り合いも見られる。又、土坑と焼土の重複も多い。

 V層の土坑の内2基は、大型で平面形が長円形をなす。UP−318では大洞A式土器の壺が横倒しで検出され周囲から石器・土器片・炭化物などが出土している。

 UP−307では抗底近くから破損した矢柄研磨機や石斧未製品などが出土している。

   V層(第U黒色土層)の土坑についても人骨は検出されていないが副葬品と思われる遺物が出土し、土坑墓と考えられるものが多い。

  低湿地では縄文時代晩期相当のV−1層(縄文時代晩期)と縄文時代後期に相当するV−3の旧河道の流木の中から、木製品や土器・石器が出土している。

  又、旧河道の近くから検出された焼土では、上部から炭化材(有機化合物が化学変化や細菌の作用などにより分解して、その中の炭素分が大部分を占めるようになること。木炭は木材の熱分解により、石炭は植物体が複雑な化学変化により炭化したもの。)

にクルミ・骨片などが混じって出土した。

  遺物は総点数234,000点である。縄文時代早期〜晩期、続縄文期、擦文期、アイヌ期までのものがあるが、縄文時代晩期(タンネトウL式)の遺物が最も多い。

  石器は石鏃、つまみ付きナイフ、スクレイパー、石斧、敲石、磨石、砥石、石皿などが出土している。

  旧河道からは木製品(椀・鉢・槌状木製品など)が出土している。