石狩紅葉山49号遺跡

石狩紅葉山49号遺跡

2002.09.26

すだれ状の柵が出土



9月9日、新たなエリと推定される柵(粗い簾状のもの)が出土しました。柵は長さ2mで幅1.4mの長方形をしており、作り方はヤナギの割り木を約5cm間隔で並べ、それを横木(5段)ブドウの蔓(3段)で交互に固定しています。割り木の下の部分は、斜めにカットされて尖っています。この付近では、魚叩棒が出土しています。

その後、同様の柵は続々発見され、破損したものも含めますと9月26日現在、合計17ヶ所あります。今のところ支柱などは見つかっていませんので使用方法などは不明です。

また、木製の横槌(よこづち)も出土しています。これは「エリ」の杭を打ち込むのに使ったと考えられます。


石狩紅葉山49号遺跡

2002.09.04

魚叩棒が出土

4000年前にサケ送り?〜



2002年9月3日午後、「魚叩棒」(さかなたたきぼう)と見られる木製品が出土しました。

全長51cm、太さ4cm2.5cmで、野球のバットのようにグリップ状のくびれがありました。グリップの部分は、幅11cmにわたって焼いた後、削られて細くなっており、両端は石斧で削られて尖っています。

「魚叩棒」とは、アイヌ文化ではイサパキクニ、イサパキツニと呼ばれており、この棒でサケの頭を叩いて殺すことにより、霊を(サケの世界に)送ることにより再生、豊穣を祈るものです。

同形のものが、寛政11年(1799)谷元旦(たに・げんたん)によって描かれた『蝦夷器具図式』に「打魚槌図」として示されており、今回出土のものもサケ・マス用の「魚叩棒」と考えられます。

「魚叩棒」の出土は、単なる道具の発見ということだけでなく、当時すでにサケ・マスの儀礼や世界観ができていたと推定できる重要な発見です。

また、魚叩棒としては岩手県盛岡市萪内(しだない)遺跡(3500年前)で出土していますが、本遺跡の方が500年ほど古く、国内の最古例と考えられます。

  以上、解説してきたとおり、石狩紅葉山49号遺跡の中の低湿地遺跡からは、縄文時代中期の川跡が出土しました。そしてその中から川漁に使用される目的で設置された漁労施設が発見され、各種の木製品も多数出土しました。

 特に杭列と柵・簀は、二つが組み合わされて初めてエリとして機能しますが、本遺跡では、出土した杭列のみでも便宜的に「エリ」と呼びました。現時点でエリの数は10ヶ所あると考えられます。
 
 10ヶ所のエリは同時に存在したのではなく、一定の時間差があると考えられます。また、「簀だて」と仮称したものは、エリがほぼ完全な形で残ったものです。

 この「簀だて」は簀の目の細かさから見て、ウグイなど中型から小型魚の施設と考えられますが、その他のエリについてはサケマスを対象としたものと考えられます。

 また、出土した木製品は破片など細かいものも含めると3000点余り出土しています。多いのはやはり杭と割り材で半数以上を占めています。

 現在、発掘調査は一段落し整理作業を行っています。本報告書の刊行は平成17年3月の予定です。このため、概要報告は一部未確定な内容が含まれております。

(いしかり砂丘の風資料館)

石狩紅葉山49号遺跡低湿地部発掘調査概要報告