恵庭市カリンバ遺跡
カリンバ3遺跡が国の史跡に指定されました
恵庭市の東側を流れる千歳川は、西部の恵庭岳や漁岳などの山岳地帯から、漁川、島松川、ルルマップ川、柏木川、茂漁川、ユカンボシ川などの小支流が注ぎ込む。これらの小河川の作った段丘が、恰好の生活空間を提供し、遺跡の集中地帯となっている。
カリンバ3遺跡は、縄文時代後期後半(約3,500年前)の豪華な副葬品を伴った墓が沢山発掘された。
カリンバとはアイヌ語で桜の木を意味し、その名を付した川が遺跡付近を流れていた。
1999年度に発掘された縄文時代後期末(約3,200年前)の墓と、副葬品について。
発掘された墓は、35基を数え、その70%に漆製品や玉などが副葬されていた。墓の形は楕円形で、直径1〜1,5m,短径が0,5〜1m,深さ0,3〜1mの規模の物が多い。
遺体の埋葬方法は、副葬品と人の歯の位置から、西側に頭を置いて屈葬にしたと考えられる。
大半の墓の底には、赤いベンガラが数センチの厚さで蒔かれていた。
1999年11月、冬が近づいたので、第118号、119号、123号と名付けられた墓は、遺跡から切り取って樹脂で固め、埼玉県の東都文化財研究所に移し、室内で遺物の保存処理を図りながら発掘が続けられた。
その結果、多数の櫛や腕輪、腰飾りの紐、髪飾りの輪などの漆を利用した製品が出土した。
カリンバ3遺跡の発掘が話題になったのは、第一にベンガラ(成分は酸化鉄)や辰砂(水銀製造や赤色絵具の主要鉱石)の赤と炭素の黒を盛んに使った漆塗りの製品が沢山出土した。
赤漆をかけた櫛や額、首、腕、胸、腰などに着ける飾り、帯などが沢山出土した。
中には黒漆をかけたものもある。 櫛の赤漆は黒髪を引き立てることを縄文人も知っていたのだろう。その赤色も真紅、ピンク、オレンジの3色があり、それぞれ用途によって塗り分けられるようである。
(野村 祟氏、縄文への旅立ちー北海道人)