カリンバ遺跡・国の史跡に指定
縄文の恵庭を今に伝える「カリンバ遺跡」とは?
縄文時代の生活様式や技術水準などを知る上で
国内第一級の史料
縄文時代早期から近世アイヌ期を埋蔵する当遺跡のうち、約3千年前の縄文時代後期末から晩期初頭の遺跡を中心に国の史跡に指定された。
土坑墓群の発見とともに、漆塗りの装身具など、多様な副葬品が数多く出土した。
土坑墓とは地面を掘り遺体を埋葬した墓のことで、死者に贈られた装飾品・副葬品です。
「カリンバ遺跡」の発掘は、平成11年のこと。黄金地区の区画整理事業での発掘調査の課程で発見された。
恵庭駅の北北東約800m。北海道文教大学に隣接して点在する自然林に囲まれる中、面積は凡そ7,2f。
カリンバという名称は、今はもう消えてしまった「カリンバ川」に由来していて、周辺の自然林の中にある幅3mほどの浅い溝が、かつて川であったと言う物語り。
カリンバという名前そのものは、アイヌ語の「カリンパ」が語源と言われ、桜の木の皮を意味している。
何故ここに桜を語源とする地名が付けられたのか、今となっては確かめる方法はありません。 でも、この桜の木の皮を意味する「カリンパ」という言葉から、古代の風景や人々の暮らしに思いをはせることができそうです。
カリンバ遺跡とは、縄文時代の生活様式や技術水準などを知る上で国内第一級の史料と言えます。
一つの墓に埋葬した副葬品の数の多さや、一つ一つが艶やかな色を保ったまま出土したのです。
櫛や頭飾り、耳飾り、腕輪、腰飾り帯などの漆製品。サーモンピンクに、彩られたこれらの装飾品は、内部こそ腐食し、無くなっていましたが、漆を塗った表面はそのままの形を留めていました。
装飾品の他に数多く出土したのが石製の玉。滑石素材のものが多いのですが、コハクやヒスイの装飾品もありました。
こうした埋葬品の加工技術の高さや色彩感覚の豊かさは、多くの専門家が“国内第一級の資料”として絶賛しています。
これらの品々からは縄文の生活の一端も浮かんできます。
翡翠は北海道では採掘されない鉱物です。内陸の恵庭でサメの歯が見つかったのも不思議なことです。
当時、既に東北や北陸地方との交易があったことが考えられます。同時に、遠方との交易を支えられるだけの経済力も備わっていたのでは無いでしょうか。
こうした数多くの貴重な資料の中でも際だって副葬品の多い土坑墓は4基もありました。
4基の土坑墓のうち、壊れやすい漆製品を数多く埋葬していた3基については、墓をそのままの形で切り取り調査、保存するという、極めて特有な手法を用いた。
市が史跡指定に向けた取り組みの一つとして、平成12年度から再分析の調査を行います。
食料を蓄えていたと考えられる貯蔵穴や、漆製品を製作したと思われる遺物などの新たな発見もありました。
市は今後、遺跡全体の保存と活用に向けて取り組みを行って行くことになりました。