アイヌ文化の木製品 

  アイヌ文化期の低湿地遺跡

  住居構造が平地式であることや生活用具の主体が腐食・風化しやすい樹木や植物製、或いは金属との複合であるため、試掘調査においても確認できないことが多い。

  最近の考古学調査では河川や湖沼の低湿地部を含む大規模な発掘調査が増加し、擦文〜アイヌ文化期の低湿地遺跡から新たな発見が相次いでいる。

  新千歳空港建設に先立って発掘された千歳市美々8遺跡出土の遺構や遺物が質・量ともに際だっている。

  遺跡は湧水量の豊富な美々川支流の美沢川(苫小牧市と千歳市の境界)の水面下に位置し、火山灰層の厚い堆積と軟弱な泥炭層中に残されている。

  これは度重なった樽前山噴火による火山灰堆積によって、美沢川周辺の河川水位が上昇し、遺跡低地部が当時の生活域ごと水没したことによる。

  当初は豊富な湧水量と軟弱地盤のため、発掘調査は困難との意見も多かったが、昨今の調査技術の進展に伴って入念な計画と関係者の協力と理解によって発掘調査ができるようになった。

  この低地部には噴出年代の明瞭な白頭山(長白山=Paektusan)(火山で、白色の粗面岩の軽石でおおわれているからいう)長白山の朝鮮での呼称。朝鮮民族発祥の聖山とされる。)―苫小牧火山灰(10世紀中頃B−Tm)、有珠b火山灰(1663年Us―b)、樽前b火山灰(1667年Ta−b)、樽前a火山灰(1739年Ta−a)等が段丘上と同様に厚く堆積しており、火山灰に挟まれた擦文〜アイヌ文化期に至る遺構や遺物の変遷を降下年代の幅から窺い知ることができる。

  この特殊な環境が、遺構や遺物を低温・無酸素状態に保ち、当時の美々8村をタイムカプセルの如く新鮮な状態でパックし、保存してきたのである。

  この重要な発見を契機に旧河道や湿地部分を発掘調査対象に加えることの重要性が広く理解されるに至った。

  そして、後の千歳市オサツ2遺跡、ユカンボシC15、札幌市K39遺跡などの発掘調査に多くの調査成果が引き継がれた。

  又、道東部においても常呂町常呂川河口遺跡から美々8遺跡同様の遺構・遺物が多数発見されており注目を集めている。

(北海道埋蔵文化財センター 田口 尚、「新北海道の古代」擦文・アイヌ文化)