朱円環状土籬

朱円ストーンサークル

 朱円環状土籬

 斜里町の町並みから東へ6`の朱円地区。オホーツク海に注ぐオクシベツ川の流域にあり、海岸から約1,5`。昭和23年(1948)、斜里町教育委員会と河野弘道氏らによって調査され、この種の遺構が墳墓遺跡であることを初めて確認した。

 環状土籬は直径32mのものと28mのものがあり、前者の中央部に一個のストーンサークルがある。後者の内側の東半分に、少なくとも20個以上の小型ストーンサークルがあったと思われるが、開墾の際に搬出されている。

 その下には1〜2mの掘り込みがあり、中に1〜3体の人骨が埋葬されていた。このうち1箇所から火葬された人骨も出土している。

 副葬品には、縄文時代後期末の粟沢式土器と土製の鈴、土版、漆器片、石棒、石斧、石鏃、ヒスイ製の飾り珠などがある。

 墓の掘り込みにはベンガラが敷かれていた。又、火葬骨とともに衣類の一部と考えられる編み物も発見されている。

 朱円遺跡の発掘は、環状土籬の概念をはじめて明らかにした調査として重要である。

 出土品と共に北海道指定史跡となっている。

 日本の古代遺跡・北海道T(野村 祟)