白滝遺跡群と黒曜石
黒曜石の原産地・白滝遺跡群
白滝は標高2千m級の山々が連なる北海道の尾根、大雪山系の東北山麓にある。
面積は341Ku、人口1.400人ほどの山村です。市街地の北北西6.5kmの標高1.147の赤石山一帯には、いくつもの黒曜石の露頭があり、その規模は国内最大級で、全体の埋蔵量は数十億トンとも言われている。
黒曜石は、地下の溶岩が火山活動で地上に噴き上げられ、冷却してできた岩石の一種で、天然ガラスとも呼ばれる。
緻密で強い光沢があり、硬く、割れやすく、鋭い刃ができるため、石器の材料としては最良である。色は一般的に黒色であるがが、赤や茶色の縞や網目模様のあるものは、俗に「花十勝」と呼ばれ、現在でも装飾品や工芸品の材料となっている。
2005年、霧ケ峰・和田峠
白滝での黒曜石製石器の出土は、昭和の初めの頃から知られ、遠間栄治氏によって石器の収集が行われていた。
1987年以降は、木村英明氏によって、赤石山の標高600m付近の幌加川遺跡遠間地点の調査が、行われた。
湧別川の名称から「湧別技法」と名づけられた細石刃を剥離する技法は、類似のものが、東北アジア一帯にも見られ、「白滝」の名前を世界的なものとした。
最近では、木村氏による白滝おける黒曜石材の採取から石器製作そして石器の搬出に関する「分業システム」や白滝黒曜石で製作された石器の「流通ネットワーク」の提唱などがあり、「世界の白滝」として注目されている。
白滝産黒曜石製の旧石器時代の石器は、北海道内では、白滝から350`離れた津軽海峡に面した知内町湯の里4遺跡や函館市石川1遺跡で、道外では400`離れたサハリンのソコル遺跡でも確認されている。
縄文時代の石器では津軽海峡を越えた青森県三内丸山遺跡でも見られ、北方ロシア・アムール川河口に近い石刃鏃文化のマラヤ・ガーバニ遺跡でも確認されている。
白滝遺跡群の特色
@ 世界に比類ない―大旧石器遺跡群の形成
白滝遺跡の最大の特色は、国内最大級の黒曜石産地を背後にもち、大規模な遺跡が集中している点にある。遺跡群は、湧別川流域に何十キロにわたり連なるように分布している。とりわけ上流に位置する白滝村においてその分布は顕著である。このため、村内遺跡の遺物出土量は非常に多く、また大形の石器も多数出土する。
A 石器生産の分業システム
各遺跡の調査により、立地する状況に応じて遺跡の様相が異なることが次第に明らかとなった。白滝村内におけるそれぞれの遺跡は、石器製作のための分業システムを担った「切り出し基地」「中継地」「集落」と見なすことができ、概ね標高に比定することができる。
「切り出し基地」としての露頭
標高800m以上に立地する露頭周囲であり、両面加工石器、石刃核、大形石刃などを採集することができる。石器製作に伴う露頭の利用を示すものである。
「中継地」的な遺跡
主に標高600m付近に立地し、大量の遺物が出土するが、石器組成が特定の器種(細石刃核、両面加工石器など)に偏る傾向が見られる。こうした出土状況から、特定の石器製作を目的とした製作址であると考えられる。これらの遺跡では、上位の露頭・周辺の沢から石材を搬入し、石器製作が進行した段階で石器が外に搬出される経過が示されており、「中継地」的な役割を担っていたことが窺われる。
「集落」的な遺跡
標高400m付近に立地し、河岸段丘上に分布する。これらの遺跡では多数の石器ブロックと共に様々な石器が出土していることから集落としての機能を持っていたことが推察できる。又、他地域への黒曜石の搬出の役割を担う「中継地」的な機能も有していたことも考えられる。
このように大きく3群に分類することができるが、「切り出し基地」による石器製作や、「切り出し基地」―「集落」への原石の搬出など石材・石器の流れは一様ではなく、今後も十分な検討が必要である。
B 旧石器時代の広範囲な物流ネットワーク
白滝産黒曜石は、北海道内はもとよりサハリンやアムール川下流域からも出土しており、当時既に広範囲な物流ネットワークが存在していたことが推定される。今後は原産地における黒曜石の分布状態の把握より具体的な黒曜石の搬出ルートの特定などネットワークの実態に迫らなくてはならない。
C 東北アジアの人類史上重要な遺跡群
白滝村内の遺跡から出土する細石刃の製作技法である「湧別技法」に関する一連の資料は、東北アジア一帯に広く分布していることが確認されている。これはアムール川流域からのモンゴロイドの拡散を示すものと考えられており、東北アジアの人類を語る上でも重要な遺跡である。
「マリタ遺跡」 「アムール川流域の考古学」)
新北海道古代史―1 旧石器・縄文文化(野村 祟 宇田川 洋編)