縄文人の仲間達  ラピタ人

  縄文人の仲間たち (片山 一道)

  太平洋の中枢部にアジア人の仲間が存在するのか。

  その理由は、ポリネシア人の祖先が辿ってきた道のりを考えれば説明できる。

  ポリネシア人の母体となったのは、間違いなくラピタ人と呼ばれる先史民族であった。

  勿論今は、もう地球上に存在しない。

  ラピタ土器という独特の装飾土器を持つことで知られるラピタ人は、今を遡ること四千年から二千年前のころ、ニューギニアのビスマーク諸島周辺からメラネシアの島々、さらに西ポリネシアのトンガやサモアのあたり一帯に分布していた。

  彼らの存在を知る最古の遺跡は、その分布圏の北端かつ西端でもあるビスマーク諸島の北部で見つかった。

  ラピタ人は非常に短期間のうちに、ニューギニアの北部の北東の島々から南へ東へと分布を広げ、一挙に西ポリネシアの辺りまで拡がっていったものと推測される。

  ラピタ人のうち、最も東方にある西ポリネシアに定着したグループが、当地の海洋性の島嶼(とうしょ)生活に完璧なまでに適応して産まれたのがポリネシア人である。

   ビスマーク諸島 ビスマークしょとう Bismarck Archipelago 南太平洋西部にある200以上の島からなる島群で、パプアニューギニアに属する。ニューギニア島の北東、赤道の南に位置する。おもな島はニューブリテン島(面積36500km2)、ニューアイルランド島(8650km2)、ニューハノーバー島(1190km2)、デュークオブヨーク諸島(57km2)、アドミラルティ諸島(2072km2)。ほかにセントマサイアス諸島、ウィートゥ諸島、ウンボイ諸島などがあり、総面積は49658km2。島群はビスマーク海をかこむように半円状にならんでいる。住民の多くはメラネシア人で、カカオ、コプラ、コーヒーなどを栽培する。ビスマーク諸島の大部分を占める4州の人口は、マヌス州32830人、西ニューブリテン州127547人、東ニューブリテン州184408人、ニューアイルランド州87194(1990)

かつてはニューブリテン諸島として知られていたが、1884年にドイツが保護領とし、現在の名称になった。1914年、第1次世界大戦をきっかけにオーストラリア軍が占領、戦後20年からオーストラリアの委任統治領となる。第2次世界大戦中の42年に日本軍に侵略されたが、44年に連合国軍が奪回。47年からのオーストラリア信託統治領を経て、75年にパプアニューギニアとして独立した。


ポリネシア人

南太平洋のポリネシアの島々にすんでいる人々。オーストロネシア語族のポリネシア語を話す。ポリネシアにもとからすんでいた人々ではなく、その起源については見解がわかれている。前2世紀ごろはマレー諸島にいたが、侵略民によって東方におしだされ、13〜14世紀までに現在地にすみついたとするのが、多数派の意見である。

初期のポリネシア人は、タロイモとヤムイモの栽培、果物やココヤシの採集、漁労、豚の飼育を生活の基盤にしていた。カヌーづくりがたくみで、すぐれた航海術をもっていた。また木や植物の繊維をつかって魚とりの網をつくり、縄や衣類もつくった。家屋は、堅木を柱とし、まわりを竹やヤシの葉などでかこい、アシで屋根をふいた。彼らは金属を知らなかったが、とくにニュージーランドでは石で各種の道具や斧(おの)、槍(やり)の先、宗教的な像をつくった。一般に木彫が発達し、手のこんだ幾何学模様の彫刻は芸術的にもすぐれている。

ポリネシア人の伝統的社会は、生まれつきの身分によって貴族と平民にわかれる階層社会である。一般に父系や長男相続が重んじられるが、非単系・双系的社会で、社会集団は血縁にもとづいた男女の居住集団とその姻族をふくむ。

ポリネシアの宗教は、特定の自然物が超自然的力をもつとする信仰にもとづいている。マオリ族には最高神イオの崇拝もある。全地域にわたって二元的な世界観が顕著であり、聖と俗、東と西、生命と死、昼と夜、右と左、男性原理と女性原理という象徴的な対立がみとめられる。祖先神マナをうけついだ首長に平民が接触すると、死にいたる危険があるとされ、首長は平民から隔離されていた。また儀礼のときに宗教的目的で人肉を食べるカニバリズムの習慣があった。しかし現在、ポリネシア人の伝統的な宗教や生活は大きくかわりつつある。彼らの大部分はキリスト教徒であり、とくに西洋文化の影響はいちじるしい。

   ラピタ人の拡散の原点が、最古のラピタ遺跡が見つかるニューギニアの北東部の島々にあったのなら、そのことこそ、彼らがオセアニアへ流入してきたルートを推定する重要な手がかりとなる。

  そして、ラピタ人が太平洋の西縁に拡がる海域アジアから移住してきたことが推測できる。

   ラピタ人がオセアニアに拡散したのは今から四千年近く前のことである。

  ラピタ人の故郷―東南アジアか東アジア

   言語学や人類学の視点から見ると話は別である。

   オーストロネシア語(南島語族)の言語の中でのポリネシア語の位置とか、各種血液型の遺伝子の分布とか、先史時代の古人骨のことなどから推論すると、むしろフィリッピンや台湾、さらには中国南部の沿岸部や日本列島南部辺りに拡がる東アジアの海域世界とのつながりが指摘できる。

   それぞれの文化を構成する物質文化の流れが辿れたとしても、過去に起こった人間集団そのものの移動や拡散の実態を正確に辿れる訳がない。

  むしろ文化の伝播と人間の移動とは別々に扱うべきで、混同してはならない。

   個々の物質文化の内容がどうであるかよりも、人々の身体特徴や言語のほうが民族グループの異同関係を物語るのだとすれば、ラピタ人のホームグランドは、むしろ東アジアの方にあったと考えるのが理にかなっている。

   四千年ないし五千年前の頃の大陸部では、既に中国の古代文明は相当に充実しつつあり、各種の農耕技術や牧畜が発達して新石器時代を迎えていた。

   しかし、中国の沿岸或いは台湾などの海域部に目を転じると、全く別の世界があったのではなかろうか。

   恐らく昔ながらの採集漁労狩猟生活を基本にする人々が、徐々に膨張する農耕民族の影響を受けようとする頃ではなかったか。

   こと日本列島においては、まさに縄文時代のたけなわ、そんな時代であった。

   実は、日本の縄文時代の前期あたりに相当するころ、中国南部からベトナムにかけての沿岸域、そして台湾などでも日本の縄文文化とよく似た性格の諸文化が存在していたようだ。

   そもそもラピタ人のルーツを探すには、漁労活動や航海術の発達を促すような生活環境が十分にあった場所に目を向ける必要がある。

   ラピタ人が、その時代としては類い希な優れた航海民だったのは間違いないからである。

   それにかなうのが、まさに東シナ海周辺の東アジアの海域部であったろう。

   今から一万年ほど前に始まる後氷期になって、この地方には当地の人々の漁労活動を育み、航海活動を活発にする条件が最大限に備わってきた、と考えることができる。

   その時代に海水面の上昇が進み、東シナ海や南シナ海にできた大陸棚が良好な漁場を提供することになり、ますます漁労活動が活発となった。又、それまでに人間の居住地だった場所が臨海地となったため、あちこちと航海することを余儀なくされたはずである。

   縄文人とその同時代人

   台湾や華南の沿岸部辺りからは、沢山の文化要素、ことに根菜類などの有用植物などが、縄文前期のころからどんどん伝達されていたらしい

   世界各地の何処でも、まだ先史時代にあった頃は、ことに文化伝播の類は一方通行で起こったのではないことが報告されている。

   とするなら、縄文時代の日本に台湾方面から文物の流入があったとすれば、当然、縄文人の文化を特徴づける何かが逆方向に流出したと思われる。

   そもそも台湾、華南の沿岸部、さらにフィリッピンなど、東シナ海の海域世界には、今から二千年ぐらい前までは日本列島の縄文人の多くの共通項を持つグループが広く分布していた可能性が無視できない。

   海民的な性格を持ち、オーストロネシア語族の元祖のようなグループである。

   日本語の中にオーストロネシア語族の流れをくむような側面が珍しくないのは、そのためであるまいか。

   今から一万年前頃に始まった「完新世」、(完新世 かんしんせい 新生代第四紀を更新世と完新世にわけたときの後のほうの時代。約1万年前以降、現在までをさす。沖積世、現世ともいう。7000〜2000年前ごろは世界的に現在よりあたたかい時期があり、融氷がいちじるしいため、海水準が高くなり、平野部に深く海が侵入した時代があった(日本では縄文海進という)。人類の歴史上では中石器時代〜新石器時代(→ 石器時代)から現代まで、考古学上の編年では始まりがほぼ縄文時代の草創期に相当する。)    

   海水面が100m近く上がる縄文海進が起こった。その結果、日本列島や台湾は大陸世界から海流が走る海域によって隔絶されることになった。

   それによって生まれたのが日本列島の縄文人と独特の縄文文化なら、同じような旧石器時代人の生き残りのごときグループが台湾など東シナ海の海域世界で普遍的に存在していたことになる。

   今から五千年前の頃になると、こうした東シナ海周辺の海域世界に住む縄文人の仲間達の中から南方へと拡散するグループが現れた。   まず、フィリッピンへ、そしてインドシナへと拡がったであろうが、その一部はインドネシア東部の島々を経て、さらにオセアニア方面へと進出した。

   そんな人たちがラピタ人だったのではなかろうか。    だとすれば、ラピタ人の直系の子孫たるポルネシア人が、アジア人、ことに東アジアの人々に似ているとしても、何ら不思議はない。

    南半球の島で縄文土器が見つかったことに対する説明は十分に可能だ。即ち、五千年前頃に日本で作られた縄文土器が流れ流れて、今から三千年ほど前、つまりラピタ人のころにバヌアツ辺りまで漂着したとしても不思議では無い状況が確かにあったのである。

   「常識では考えられない」ことだからこそ、その謎を解くべく学問が始まるのだ。それから、もう一度、先史時代の歴史というものは、時にとんでもない謎を我々に投げかけてくれる。

「海のモンゴロイド、ポリネシア人の祖先をもとめて」より