中野B遺跡―4
平成9年〜10年の調査で、平成7年度調査範囲の報告書編成作業及び平成8年度の調査によって得られた遺物の整理。
遺物は縄文時代早期のもので、土器、石器、土製品、石製品、自然遺物等がある。
特徴的な遺物
H―530覆土出土の土器
上面観が四角形を呈し、4山の波状口縁の深鉢形土器の上半部分で、残存高は12,8cm。口縁の一辺が12〜13cmほどの中型のものである。
現存する対の口縁波頂部には、3,5cm程の縦長の粘土貼り付けがあり、その両脇に貫通穴をもつている。貫通穴は外側から内側に穿たれている。穿孔を2度行うことで縦長の楕円形を呈している。
内外面の調整は口縁部が帯びており、底部は尖底となるかもしれない。竪穴の中央および東部分の覆土中位から、4地点に散在して出土している。これまでの調査でも、小型で長方形を呈する底部や方形であろうと考えられる破片などが出土していたが、接合復原された例は初めてである。
H―562覆土出土の土器
竪穴の床面に近い西側壁際出土の土器。4山の波状口縁の深鉢形土器で、口縁部分は半分ほどが残っている。口径13,5cm、高さ15cm。中型土器の、やや小振りの部類に入る。
底部は乳房状尖底となるようである。残存する一つの波頂部下に、棒状工具により線刻が施されている。大小二つの菱形で構成され、大きな菱形の内部には格子目の方がやや細くなっている。
この土器には線刻以外の文様は見られない。器面調整はヨコ・タテのナデ調整が行われているが、さほど丁寧に行われているとは言えず、胎土にも砂粒が多く含まれており、器表面にザラつき感がある。
器壁は1cmほどの厚さがあり、器高の割に肉厚で重量感がある。口縁部には若干のススの付着が認められる。
H―561出土の石錘
線刻のある石錘。竪穴北東隅の床面直上から出土したもので、長さ・幅・厚さはそれぞれ8,5 7,8 2,1で154,1gである。やや粗粒の凝灰岩製。楕円形扁平礫の両面を砥石として可成り使用しており、最も薄い部分で0,6cmの厚さとなっている。
線刻のある面では擦痕はあるものの、裏面ほどの滑らかさはない。砥石として使われた後、長軸の両端に抉りを入れ石錘に再加工している。抉りの一部にも 線刻が観察されることから、 線刻の最後に施していることがわかる。 線刻は極細で浅い。図式した位置で見ると、両抉りを結ぶ中央部に幾重にも直線的に描かれている。その上方に、各々3本の 線刻で山形を描き、さらに格子目が付け加えられている。
H―566出土の石錘
これも 線刻のある石錘。竪穴北西側の覆土上位から出土している。
細粒の凝灰岩製で、板状のものである。
線刻は図示の面全体に格子目に描かれたものと見られる。 線刻の後、砥石として使用され、 線刻の一部は擦り消えている。裏面にも長短2条の 線刻が見られるが、これ以外は無さそうである。
砥石として使用した後、長軸両端に抉りを入れ石錘としている。
土器、石錘に見られる 線刻は、それ自体が細く浅い特徴をもつ。このことは特に土器において顕著で一般的な沈線に比べ極端に細い。又、3点ともに共通して格子目状のモチーフを持っていることが上げられる。
土器に描かれたものは全体として「魚」、格子目状のモチーフを単体で描くH―566出土の石錘の文様は「漁網」を連想させる。
何を表現しているかはすぐに結論の出ることではないが、これらは「 線刻画」として扱ってよいのではないだろうか。又、過年度「 線刻状の擦痕を持つもの」として蛇紋岩製石斧(H―27出土)、泥岩製の石錘(H―74出土)を報告している。これらも含めて考えていく必要があろう。