中野B遺跡ー2

函館市史

 中野B遺跡―2

  中野B遺跡は、昭和50年度、先の空港拡張工事に際して、函館市教育委員会による進入灯工事区域の発掘調査が実施されて以来、縄文時代早期中葉を代表する集落跡として注目されてきた。

  遺構・遺物の大半は、住吉町式土器やムシリT式土器の時期の所産で、累々たる大集落の様相が明らかになりつつある。

  今回の拡張整備に伴う発掘調査は、平成4年度から、まず銭亀宮川の河川切り替え用地を対象に開始、更に滑走路本体部へと調査区を拡大しながら、平成5,6年度と継続注である。

   遺構と遺物

  平成7年度の調査で検出された遺構は、竪穴住居跡103軒、土坑47基、Tピット86基。

  竪穴住居跡は、長軸7m前後のものや3m前後のものもあるが、平均的な大きさは4〜5mである。平面形は楕円形状、隅丸方形状である。昨年度までの住居跡に比べ、全体的に深く掘られたものが多く、覆土もVb層とX層が混じり合った混合土のものが多く見られた。

  特にH−462は壁が立ち上がり垂直的で、堅く、深さは約70cmほどである。

  炉跡、焼土などを伴う住居跡は少ないが、H408のように、径約1mの方形状に浅く彫り込んだ炉跡のあるものもある。


  柱穴は1〜数本の主柱穴と壁際を巡る小ピット状のものからなる。

  2本柱と4本柱が多いようである。床面出土の遺物は少ないが、礫石器特に石錘が目立つ。又床面から1020cmほど上方の覆い土中から多数の遺物が出土し、横倒しでつぶれた土器の出土が目についた。