津軽海峡に臨む、縄文時代早期の大集落

 函館空港と縄文時代の遺跡群・
北海道では最古級・最大級の集落

 空港のある段丘は、津軽海峡に臨んで見晴らしが良く、晴れた日には下北半島や津軽半島を望むことができる。

 ここでは、縄文時代から数千年にわたる遺跡が数多く見つかっている。

今回の空港延長工事に際しても、平成3年(1991)から平成8年(1996)にかけて、中野A遺跡、中野B遺跡、石倉貝塚の調査が行われ、中でも中野B遺跡は、縄文時代早期の大集落として全国的に話題となった。

  中野A遺跡と中野B遺跡の様子

  空港の東端付近に当たる銭亀宮の川を挟んで、二つの遺跡が相対している。

  中野A遺跡には、道内で最も古い時期の住居跡をはじめ、40軒ほどの住居跡がある。殆どの住居跡は8,000年前頃、貝殻文土器(函館市史参照)から沈潜線文土器(貝殻文沈線文系土器群は、貝殻腹縁文ないし沈線で装飾させた土器のことをいう、縄文時代早期の代表する土器名)の時期にかけて、600軒を超す住居跡と350基を超す土坑、48万点に上る遺物が出土している。

 北海道では最古級・最大級の集落である。

 数百年にわたって住み続けられたために多くの遺構や遺物が残ったと考えられます。

 又、大型の住居跡や食料を蓄えた貯蔵穴の存在などから、これまで考えられたよりも遙かに早く定住生活が始まったことが解ってきました。

 津軽海峡に臨むこれらの遺跡からは、本州北部と同じ文化要素を持った遺物が見つかっています。やがて青森市の三内丸山遺跡(5,5004,000年前)、南茅部町大船C遺跡へとつながる一つの文化圏を形成し始めたことになります。

(函館空港内の展示説明より抜粋)

  津軽海峡から噴火湾へ

  縄文のクニと海のネットワーク・津軽海峡の両岸に豊かな縄文のクニが広がっていた。

  5,500年前から1,500年間にわたって続いた集落・三内丸山。巨大な柱構造物、長さ30mという日本最大級の竪穴住居。縄文のイメージを塗り替えたと言ってもよい。今では三内丸山遺跡は、日本一有名な縄文遺跡となった。

  その数年後、今度は津軽海峡の対岸の道南各地で、驚くべき発見があった。

  函館市郊外の丘陵から、三内丸山遺跡をさかのぼること2,000年の中野B遺跡から、縄文時代早期としては日本最大級の約650基の竪穴住居を持つ集落跡が発見された。

  更に噴火湾に面した南茅部町では、三内丸山遺跡と同じ頃に約6,000基を越える竪穴住居の存在が推定される大船C遺跡など、大規模な集落がいくつも存在することが明らかになった。

  三内丸山遺跡に匹敵する遺跡群が、北海道側にも存在したのである。

  大船C遺跡と三内丸山遺跡は、同じく、「円筒土器文化」に属している。平底で、筒型を中心とした土器であり、この文化圏は津軽海峡を中心として北は石狩平野、南は秋田、盛岡付近に至る北東北一帯に及んでいる。

(「縄文紀行」北の縄文を旅する:北海道人  野村 祟氏)

 

スライド記録写真(遺跡・遺物)

黒曜石 石器 ヒスイ 土器
三内丸山A 細石刃 三内丸山B トチのアク抜き
古代の建物(池上曽根遺跡・
大湯遺跡・三内丸山遺跡)
三内丸山遺跡の
円筒土器と装飾品
三内丸山遺跡の
円筒上層式土器
三内丸山遺跡の
円筒下層式土器

このページのトップへ