柏木B遺跡・環状土籬(周提墓)

 縄文時代前期、当時東北地方と石狩地方の
人々が交流していたことを物語る

 柏木B遺跡・環状土籬(周提墓)

 縄文時代前期、当時東北地方と石狩地方の人々が交流していたことを物語る

 恵庭の遺跡

  柏木B遺跡は、農地の基盤整備を目的とした地ならし工事のために、昭和52年(1977)から55年にかけて調査された。今では、削られて平坦な畑地になっている。

  調査は、札幌大学の木村英明先生が担当され、同大学の学生を中心に行われた。

 初年度に、それまで本格的な調査例の無かった環状土籬(周提墓)が検出されたことで、道内外の考古学関係者に注目された遺跡である。

  今から約7,000年前の縄文早期の東釧路V式土器(函館の梁川町遺跡や春日町遺跡で出土する絡縄体圧痕文の平底土器、東釧路UV式と呼ばれる土器があり、押型文尖底土器や綱文尖底土器が次に編年されている=を伴う第203号土擴が、本遺跡で最も古い遺構である。

  次に、縄文時代前期末(約5,000年前)の竪穴住居跡が段丘縁に沿って27軒確認されている。

 住居跡は、炉と貯蔵穴様のピットが隣り合わせで造られており、柱穴は4個から6個が認められた。床面には柱穴付近を境にして、外側が一段高い「ベンチ構造」も認められた。

 竪穴から、石斧、敲石、砥石、北海道式石冠など、礫石器が多数出土した。土器は、石狩低地帯に多い大麻V式土器のほか、東北地方北部に特徴的な円筒下層b式土器が混在していた。

 当時東北地方と石狩地方の人々が交流していたことを物語る資料である。

 縄文後期末(約3,000年前)の遺構は、5基の環状土籬と1基の列状群集墓がある。

 環状土籬は、直径9〜13m、深さ1540cmほどの大きな円形の竪穴を堀り、その中に土壙墓を設けるもので、集団の墓地とされるものである。竪穴の排土を周囲に盛ることによって、一見大きなドーナツ状をした墓地である。

  第一号環状土籬は直径13,04m、深さ42cmの竪穴部分をもち、そこから21個の土壙墓が発見されている。また、竪穴の周囲にも23個の土壙墓があり、このような構造は他に例がない。

  土壙墓は、およそ直径1,11,8m、短径0,71,3m、深さ1m前後の楕円形の深い墓である。遺体は、歯の痕跡から2体合葬の例も認められている。

 又、埋葬後に標識となる石が配置されており、柱状節理の安山岩を立てたもの、周囲に大型の円礫を並べたもの、覆い土の上にケルン状に積み上げたものなどが見られた。

  環状土籬からの出土遺物は、鉢形、浅鉢形、注口形などの土器と、土壙墓の副葬品として、この時期に特徴的な細長い石棒、首飾りの玉のほか石斧、石鏃、ナイフなどが見られた。

  第三号環状土籬からは漆塗りの弓も検出されており、縄文時代の豊かな物質文化をこのような副葬品から知りことが出来る。

  列状群集墓は、斜面の等高線に沿って検出された土壙墓群で、18個の墓が見つかった。

  木村英明先生は、礫群や焼土など、周辺の状況から、直径約40mの環状に配石を伴う遺跡ではないかと推測されている。ここからも、ネックレスの玉や、サメの歯、漆塗りの櫛など豊富な副葬品が出土している。

 

  このほか、300個を越える続縄文時代の土壙墓も見つかっており、柏木B遺跡の台地がこの時代にも墓地として盛んに利用されていたことが窺える。

(「古代に遊ぶ」さっぽろ文庫 札幌市教育委員会 恵庭の遺跡 上屋慎一)


 日本の古代遺跡・北海道T(野村 祟)

     柏木B遺跡の環状土籬

  柏木B遺跡は、道央自動車道の恵庭ICから札幌方向へ1`ほど北上した地点の西側にある。

 この遺跡の調査は、農地基盤整備事業に伴う緊急発掘調査として、昭和52年(1977)から四カ年にわたり恵庭教育委員会と木村英明氏らによって実施され、その結果、環状土籬5基(うち2基の不確実なものを含む)、縄文時代前期末の竪穴住居跡24軒、同中期後半の住居跡2軒、続縄文時代を中心とする土壙墓433基が検出された。遺跡はほぼ壊滅した。

 1号環状土籬は、上面で直径12,1613,4m、深さ3042cmである。土壙墓は環状土籬の内側、周提土に合わせて21基の土壙墓が発見された。いずれも、隅丸長方形にちかい楕円形で、深さは1mを超すものが多い。遺体の痕跡(主に歯)を確認できるものもあり、2体合葬も数列解っている。ほぼ半数の土擴内から、石棒、飾り珠、石斧及び原材料、石鏃、漆塗り櫛、弓、石槍などの副葬品が出土した。

 なお、重要なことは、土壙墓の上に柱状節理などによる長い角礫を地上標識として立てていたようである。又、拳大の円礫445個で土擴口を覆っていた例も知られている。

 2号環状土籬は、1号よりも規模が小さく、上面で直径9,049,84m、床面で直径8,769,68m、深さ1525cmである。土壙墓は2基。

 これらの環状土籬の床面に並ぶ土壙墓に、大きく二種類の地上標識があることを指摘している。即ち、柱状の角礫を標識とした北西部分に分布するものと、大きな円礫を標識とした南東部に位置するものに分けられるとし、「埋葬区」の存在を推定している。

 柏木B遺跡の環状土籬と土壙墓を分析した春成秀爾氏は、土壙墓が二分割されているのは、地元の集団出身者と他集団からの婚入者の区別を反映したものであると述べている。